産後

退院してから、私は実家に里帰りした。
まあ夫婦で住んでるアパートから車で10分くらいなので、旦那もよく泊まっていた。だから家族みんなでお世話になっていた。

くそバイスという言葉を皆さんは知っているであろうか。
親たちからのアドバイスのことだ。
これは、新米ママにとってとてもいらないものである。
ほんと。
でも実母には言い返したりできるが、問題は義家族だ。
たまったもんではない。
きっと世の中のお嫁さんたちは経験するだろう。

結婚することがこんなに大変なのか。好きでは結婚できないことを。

産後は体調も良くなければ、ホルモンバランスもくずれ、おかしいくらいにイライラし、泣いてしまう。
夜寝ないせいなのか。
でもうちの子はよく寝て、泣き続けることもなく、とても良い子なのだ。
なのに私がママでいいのか。そんな不安もあった。
この子に何かあったらどうしよう。そんなことばかり。
見えない不安ばかりが、私を襲っていた。
そんな中で旦那は良くやってくれていたと思うのだが、ある日、「うちの家族も大事にしてほしい。」と言われ、ブチ切れてしまった。
「は?今?あたしのことは?
それに一番に世話になってるの、うちの両親でしょ?なんでいま?おかしいんじゃないの?」
人でなしと思った。
あたしにあんなこといった人たちを大事にしてほしいだ?

一年半たつが、これはまだ私の心が整理つかず、ほとんど義家族にはあっていない。会うと必ず体調崩し、喧嘩も絶えなくなるからだ。
会わないことが自分を苦しめてるのは良くわかるが、今は無理なのだ。

旦那のことも嫌になりかけている。
自分でもどうしたら解決するのか。
本当に教えてほしい。


こんなことを書いていますが、私は子供が大好きで、親バカです。
これからは成長のことや、出かけた時の話をしていきたいなと思ってます。


入院中

子供を産むまで、二度入院したことがあった。
そのときとは違って、同じ経験をした産婦ばかりがいるので、とても楽しかった。
しかも自分も病気ではないので、育児のための合宿みたいに感じた。

私は大部屋になった。個室高くて。
でもそれがよかった。他のママといろんな話をしたり、赤ちゃん見て癒されたりしていた。
またあのパパかっこいいなあー!
優しそうだなあなんて人間ウォッチングして楽しかった。
子供は二時間おきにおっぱいと泣いていたが、もっと泣きじゃくるものと思っていたので、それほどつらくなかった。
授乳室から朝日を見て、綺麗な朝だー。とか絶景に浸ったり、〔山の上の病院だったので)いつもの自分ではなかったような気がする。
産後ハイかしら。と思うほどであった。

だが、旦那にはイライラした。
ラーメン食べてきて、ニンニクくさいこと、言っても伝わらず頼んでもないものを持ってきたり。他のママに笑われたり。
なんでこんな男なんだろう。
なんで結婚したんだろう。
これが産後の精神状態に拍車をかけた。

そして魔の面会。私のこころは落ちに落ちた。これはまたの回に伝えたい。

話が逸れてしまったが、入院中ご飯がとても美味しくて、ご飯は食べきったが、間食はできなかった。
でも20代のママたちは、ずーっと食べていた。
夜中にバリボリバリボリ。ん?
寝ようよー。

そのバリボリは一時間ほど続いた。
まあいい子だったので、特に言わなかったが、凄い食欲で、冷蔵庫にはパンパンにお母さんがいろいろ買ってきてくれてて。
退院の時体重変わらなかったって嘆いていたけど、私からみたらそりゃそうだよー!と言いたかった。

いろいろあったがとても楽しい経験だった。

立ち会い出産

私たちは立ち会い出産をした。旦那とともに両親学級でお産の経過をならった。
旦那は血を見たりするのが苦手で、とても臆病な人なんです。
大丈夫なのかしらと思いながら、倒れそうならすぐに言うのよ!とだけ強くいっていた。

だが案外強かった。
ってか倒れていられないくらい、あたしのお産も進みが早かったのもあるだろう。
途中あたしの排泄物を見ても、大丈夫!と笑顔で声をかけてくれた。胎盤も立派だねーと褒めてくれた。
そして、産んだときに、頑張ったね。ありがとう。と言ってくれた。
舞い上がって子供の名前の漢字一人で決めてた。

今思い起こすと、できちゃった婚でもこの人で良かったのかなーなんて思う。

でもけんかするとそんなこと忘れるんですけどね。

世の中の旦那さん!
奥様にお礼は言わなきゃダメですよ!

喜びと驚き

さあ分娩室へ。
助産師さんが温かく迎えてくれた。だが言い放った言葉は残酷なものだった。
「早くて明日の朝には産まれるかなー。」

は?
この痛み。夜通し?
うそ。
そんなの無理だよ。
そこであたしは今日中に産むんだーと意気込んだ。

そうだっ。
あたし浣腸してないけどいつするんだろう。2日でてないなあ。
助産師さんに言うと、「うーん。今からやりますかー。もっと早めに言ってれば。」前処置でやるものと思ってたので、驚いたが、やってみた。
お腹痛くて辛かった。歩くのも辛くて、なんとか少しウンチがでました。

そして、出産を早めるためと、足浴やらアロマやらしてくれたが、痛くて辛くて。
優しい助産師さんで、あの方に取り上げてもらったことはとても良かったのだがお腹が痛いので、笑顔で対応なんてできなかった。
そして散歩しましょうと。
2分おきにくる痛みの中、歩かされた。
地獄だった。
痛みがくるたび、廊下の脇にたおれ、滝のような汗を流し、もうダメ。とてもお腹を切ってくれと何度諦めたか。

でもその甲斐あって、そのあと破水してその30分後に私は赤ちゃんと会うことができた。

私は疲れ切っていて、いきむときには眠くてしょうがなかった。
いきむときになると、痛みはなくなっていた。赤ちゃん出るときも痛みというより、やっといきめることの嬉しさで、よくわからない状態だった。

赤ちゃん。最初可愛くないとかいうが、可愛いとかではなく、愛おしくて、今まで味わったことのない感情だった。
そして一人産んで、あたしが言った言葉は。

もう一人欲しいだった。
一人も育ててないのに。
痛みなんか忘れるというのらこういうことかと実感した瞬間でした。

初めての出産

予定日を過ぎても全く子宮口が開かなかった私は入院することになった。
入院日は、他に2人のママがいました。
日帝王切開だったので、ある程度説明があったのだろう。
落ち着いているように見えた。

私は何が起こるのか全く予想もつかず、先生の説明が始まった。
まずは子宮口を開く処置、ダメなら誘発剤、子供に危険があれば帝王切開と。
えー。大丈夫なのー。どーなるのー?
という気分だったが、夫の方が不安だったであろう。
仕事いつまで休めばいいのか、いつ連絡した方がいいのかとかも考えていただろう。

同意書にサインして、処置が始まった。
そして、一時間すると少しずつお腹が痛くなってきた。
これなのか?
と思いつつ、ベットにいたり、少し散歩したりしていた。だが午後になると痛みが5分間隔になってきた。
痛い。
こんな痛みがくるのか。
だんだん余裕がなくなり隣にいる夫の存在がイライラしてくるのであった。
夕食になり、食べておかなきゃなーと痛みを我慢しながらたべていると、隣でカツ丼をむしゃむしゃ食べているやつがいる。
俺も頑張らなきゃだからと。

呆れた。産むのはあたしだ。
こんな男を父親にしていいのか。
そんなことも考えてしまった(笑)

そして歯を磨き分娩室へ。
もう動くのも辛かった。
でも歩いていった。
そしたら助産師さんに「明日の朝には産まれるかなー?

無理だー!
絶対に今日中に産むんだーと意気込んだ瞬間でした。

出産前

私はすこぶる元気がよかった。
仕事をして、遅番もして。いろいろ遊びに行ったりしていた。
予定日過ぎても映画見たり、焼き肉行ったり買い物したり。

ただイライラした。
何もかもにイライラした。
約束守らなかったり、いつもならするーっと流せる義家族からの言葉も流せなかった。
これは産後も続きましたけどね。
ってか今も(^^;;
全く私からは連絡してません。ダメ嫁です。
まああちらからも来ないですし。


話は逸れました。
妊娠中にうけるマタハラ。私はありませんでした。
一番心に残っているのは、10歳くらいの男の子が
私のカバンについていたお腹に赤ちゃんがいますのキーホルダーをみて、「あの人お腹に赤ちゃんいるから、優しくしないとダメなんだよ!」とおばあちゃんに話していました。
なんて立派な子育てをしているんだママ!
すごいよママ!
思わぬ優しさにふれた瞬間でした。
イライラなんてどっかに消えました。
その2日後、私は入院するのでした。



結婚

私は結婚に夢も希望もなかった。
願望もなかった。
でも結婚したら仕事を辞めてもいいものと思っていた。

でも現実生活するためにはお金が必要なんですよね。
汚い言い方ですが、世の中お金が大切なんです。

それまで共働き夫婦、子育てしながら働いてるママに対して、何も思わなかった。仕事してて、突然子供のことで休むママに、大変だーしか思わなかった。

今は本当に尊敬してます。
私も皆様のように頑張っていきたいと思う日々でした。